中学の時父の強引な提案で韓国語の勉強を始める。
15歳「2002年W杯自主応援歌」歌手として活動を始め、
全国のサッカー競技場などを歌って回るヂマチョゴリ着て。
2005年当時日本人の歌手デビューが珍しい中、「フノニ」という楽曲で韓国ソロ歌手デビューを果たす。ビザの問題で全く活動ができず練習生生活を送る。
約6年の韓国生活を終え日本に帰国。K-POPが日本での旋風を巻き起こす中、
K-POPの日本語訳詞、日本オリジナル楽曲の作詞、作曲、アーティスト
へのボーカルディレクション、制作側として活動を始める。
KPOPの流行に伴いKPOPイベントが増え、韓国関連の各種イベントでMC
を務めるようになる。
その他InterFM897にて”casaricotoradio”という番組のパーソナリティーを、TokyoMXにてTHE BOYSが送る韓国情報バラエティー”オトセヨ”のナレーションの活動も。
私の軌跡をエンタメ女子様がインタビューにてまとめてくださっています。
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